21世代4年のDF桒原心です。
まずはじめに、日頃より中京大学男子ラクロス部をご支援して下さっているOBOGの方々、学校関係者ならびに保護者の皆様、この場を借りて心より感謝申し上げます。
毎試合たくさんの保護者、OB・OGの方々、社会人ラクロッサーが駆けつけてくださり、暖かい声援、歓声を送ってくださったことが励みになり、力となり、リーグ戦最後まで諦めずに戦うことができました。本当にありがとうございました。
24EAGLESの活動は終了となりましたが、今後も後輩達のラクロスは続いていきます。これからも後輩達が目指す目標に一緒に走っていただき、暖かいご支援・ご声援の程ををよろしくお願いいたします。
スタッフ3人がすごく心に響くブログを書いていて、その後に書かなければいけない俺のことも少しは考えて欲しかったなと思ってます笑
自分なりに4年間の部活動を通して伝えきれなかった感謝・想いを書き綴りたいと思います。拙い文章ですが他の人と比較せず読んでいただけると幸いです。
〜1年生〜
高校から続けてきたサッカーに見切りをつけて、大学に入ったら何か違う部活に入りたいなと思っていたら1年生の10月になっていました。10月には部活動の新歓も終わってしまっていて、もう入れそうなものないかもなと思って諦めかけていました。ちょうどその時期に同じ授業をとっていて少し喋るようになったふみがラクロス部に入っていて、楽しそうに見えました。そこで体験行ってもいいかなって聞いたらいいと思うよって言ってくれてあさひさんの車に乗せてもらって一回目の体験に行きました。
正直選手やるつもりなくてスタッフとして入ろうとしていました。一回目に行った時点で色んな人が話しかけてくれて、楽しかったことを覚えています。何回か行くうちにクロスを渡されて体験していたら、先輩たちが上手い上手いって褒めてくれて調子に乗って入りました。
入ってからというもの1ヶ月後に新人戦があるから少しでも出れればいいなと思って自主練に励みました。先輩たちにコツを聞いたりして、シュー練を1人でもしていました。その時に肉離れしてしまい、練習ができなくなって新人戦にも間に合わなくて、出場することもできませんでした。
〜2年生〜
2年生になってからも肉離れが続いていて、上手く動くことができなかったのであまり動かなくて良さそうなゴーリーというポジションを選びました。しかし、そこから地獄の日々の始まりでした。始めたばかりで型もままなっておらず、ボコボコに決められるし、体にバンバンに当たって青あざだらけの日々でした。まだこの頃はラクロスが好きで、頑張ろうと思って自主練にも励み、先輩たちに頼んでアフターもシュー練してもらうようにしていました。そうすると徐々にクロスで止めることができるようになったり、ショットが見えるようになってきました。その時はすごく嬉しかった。
真面目に練習していて、徐々に力が伸びてきているのに練習試合に2年生の時一回も出ることができませんでした。同期のみんなは、どんどん成長して練習試合でも結果を残していて自分はベンチからみている状況が辛かったです。なんのために練習しているのか、頑張っているのか分からなくなりました。
リーグ戦じゃないのに?練習の成果を出す場所が練習試合じゃないの?って思って、ラクロスが好きだったのに初めて辞めたいと思いました。
辞めずに済んだのは2年間Gコーチを務めてくださった康介さんとの出会いでした。話をしたら、「お前は育ててあげるよ。来れる時に来て教えてあげるし。2年生でしょまだ。ここから上手くなるし、辞めないほうがいいよ。頑張ろう。」的なことを言ってもらって思いとどまれました。来てくださったら一緒にプレーをしてくれて、背中で見せてくれました。自分の何百倍・何千倍上手で尊敬していました。康介さんを越えたいという気持ちで頑張ろうと思い、自主練、アフターに再び励むようになりました。
2年生のリーグ戦でVS愛学・日福に1Qだけですが出場することができました。練習試合にも今まで出たことがなくて実践経験もなく、緊張していました。0失点で終わることができて、やっと結果が出せた。チームの価値に貢献が少しできたかもと感じることができた日でした。康介さんも会場に来てくださっていて、「よかったと思うよ」って言ってくださってそこからも頑張ることができました。
〜3年生〜
3年生になって、一個上にけいとさんがいました。実力で追い抜いて出て活躍するべく、練習に励み、コーチである康介さんにももっと厳しくしてくださいってお願いしました。練習に来れていないけいとさんと同じ量しか出れませんでした。今思えば忙しかったけいとさんに対して結構ひどいことを言ってしまっていたと思います。LINEでもひどいことを言いました。申し訳なかったです。
主将のあさひさんにも、試合に思うように出られないから辞めたいと思って、言葉使いなど何も考えず自分の思いを率直にぶつけて、かなり迷惑をかけました。上下関係・社会に出てからのことを真剣に話をしていただいて、今までの自分は腐っていたと反省して変わることができたと思います。ありがとうございます。
その時期からいっぱい迷惑をかけてしまったあさひさん達の代を勝たせたいと強く思うようになりました。
でも今年の意気込みブログで書いたように自分自身の結果も出せず、チームでも結果を残せず、入れ替え戦まで戦わせてしまいました。申し訳なかったし、先輩達に合わせる顔がなかったです。でも先輩達の涙を見て残りの一年先輩達の分まで頑張ろうと決意しました。
先輩達が引退してからも調子が上がらず、ゴーリーというポジションが好きになれなかった。
そこから最高学年としてラストイヤーが始まった。
〜4年生〜
あっという間に4年生になった。健太郎がチームとして「CHENGE」を掲げた。自分自身一番変わったのはポジションだ。ロングに転向した。
意気込みブログで書いたが、一番しんどかった。ゴーリーで大成したい。でも成長できない。ものすごく葛藤した。けど同期との最後のリーグ戦。結果を残して終わりたいと思った。俺が変わればチームも変われるかもと思って決断した。
しかしゴーリーだったこともあり、フィジカルも、体力もなく、グラボなどの技術面もない。全てが初めからだった。正直何度も心が折れた。でも仲間の存在が自分を強くした。
いざ始まったリーグ戦。4連敗。大敗。もっと上手かったらと後悔していた。残り2戦は目標の「FINAL出場」には落とすことができなかった。成長しないとと思ってアフターも、より真剣にやった。コーチだけじゃなくて、もりしんさんやきみひろさんにお願いをして何回も1VS1を手伝ってもらった。
5戦目の信州戦は前半を1対4のビハインドで折り返した。正直負けるかもと内心思った。逆転して勝つことができた。めちゃくちゃ嬉しかった。勝ちに貢献できた。アフター頑張ってよかったと思った。6戦目も勝つことができ、目標の「FINAL出場」に首の皮一枚繋がった。
ワイルドカードにも勝ち、いざFINAL4になった。
相手は名古屋。1戦目に大敗したチームだった。でも事前準備はバッチリで、勝つ気でいて昂っていた。前半に試合を崩さないがチームの目標だった。
しかし自分のせいで何失点もして、崩してしまった。9-4。負け。
引退。
目標は目標で終わってしまった。悔しかった。みんなの涙が痛かった。何回夢であればいいのにと思ったか。でも現実だった。この時の悔しさは今でも消えていない。
最終的な結果を見たらロングに転向したことが正解だったのかはわからない。
自分が変わってチームが変わったのかもわからない。
でも自分が選択してきた道は間違ってなかったと信じたいし、信じてる。
この僕らの悔しい想いも背負って25EAGLESは闘って、来年全国に中京大学の名を轟かせてください。東海制覇は当たり前。そんな強い中京になれると信じています。
そして健太郎が作り上げた応援される・愛されるチームを守ってください。
OBとして応援に行くのを楽しみにしています。
最後にお世話になった方々へ最後に感謝を伝えたいです。
1年生へ
いっぱい入部してくれてありがとう。みんなの熱い応援が力になりました。人数が多くて、中々みんなと絡むことができなかった。それが後悔です。みんなはポテンシャル高くて、やる気もあって新人戦も優勝できると思います。期待してます。全国応援行かせてね。
2年生へ
ほぼ同期くらいの感覚で関わってくれるみんなが大好きです。どの思い出を切り取ってもみんながいます。選手の人数が少なくて、スタッフの人数が多い異例の学年かもしれない。この学年は選手だけじゃなくてスタッフも中京を変える力を一人一人が持っている。先輩がいて中々自分を出すのが難しいかもしれないけど、みんなならできる。中京を変えてくれることを期待しています。
3年生へ
この1年みんなが成長してくれたからリーグ戦でここまで戦えたと思う。頑張ってくれてありがとう。一人一人自我も個性も強い学年だと思う。ここからはだいきを中心にチームを作って行って、三強を食ってかかるチームに成長させてください。来年東海制覇してください。楽しみにしてます。悔いのないラクロス人生にしてください。
同期
健太郎へ
キャプテンでチームを引っ張ってくれてありがとう。正直不安だった。頑固だったり、思ったことを口に出すタイプだったから。でもそんな健太郎がキャプテンになって変わっていく姿がかっこよかった。「CHENGE」を体現していて見習わないとって思った。健太郎が作り上げてくれたからこそ愛されるチーム、応援されるチームになったと思う。頑張ってくれてありがとう。
耀へ
副キャプテン引き受けてくれてありがとう。元気に振る舞ってるけどたまにバット入る耀くん。みんなに寄り添っていてすごいなと思った。同期として頼もしかった。信州の練習試合後マックで夜中までかずまと3人で語った時、ロング始めたばっかでしんどかったけど耀が「後少ししんどいかもだけど最後まで頑張ろうな」って言ってくれた言葉が救いになりました。ありがとう。
秋杜へ
秋杜は、最後にぶつかってしまって申し訳なかった。俺も幼稚だったと思う。けどあの時に初めてぶつかって、お互いの思いがしれてよかったと思ってます。ロングに変わっていっぱい迷惑かけてごめん。引退後に飲みに行った時に「お前も本当に成長したよ」って言ってくれて嬉しかった。ありがとう。
巧光へ
一回本気で辞めそうになった時、すごいショックだった。でも思いとどまってくれてありがとう。巧光の脳筋みたいな発言が好きでした。巧光の脳筋みたいな発言がチームの士気を上げていたと思う。ありがとう。これからは逞しい筋肉とちょっとぶっ飛んでる頭で三重の平和を守ってね。
ゆうかへ
同じゼミで、喋る機会多かったね。ゆうかはラクロス大好きで、ユースや選抜のマネやっててすごいなと思っていました。ゆうかが作り上げたマネージャー軍団はどこのチームよりも仕事ができていて誇らしいです。しんどい思いしたけど、ゆうかが残したものは胸を張っていいと思います。最後まで頑張ってくれてありがとう。
芙美へ
芙美に出会ってなかったら部活にもラクロスにも出会えてなかったです。ありがとう。芙美は優しいけど時に怖かったです。講座があってすごく、しんどかったと思う。そんな中トレーナー軍団をまとめて、一人一人がやりたいことを持てるように動いていてかっこよかったです。テーピングもいっぱい巻いてくれてありがとう。最後まで頑張ってくれてありがとう。
楓子へ
楓子は24EAGLESの要だったね。そんな中俺の悩みも聞いてくれてありがとう。「私たちはスタッフだからピッチに立つことはできません。本気で勝ちたいと思ってますか?今のままでは無理だと思います。私は勝ちたいです。お願いします。勝たせてください。FINALの舞台を見せてください。」こんなことを言わせてごめんなさい。でもこれがあったから俺らは変われたし、もっと本気になれた。楓子の存在は大きかった。最後まで頑張ってくれてありがとう。
仲の悪い学年と言われ続けてきたけど、干渉し合わないみんなだったから最後まで辞めずに続けられました。本当にありがとう。
コーチの方々
グッシーさんへ
学連系のいじりすごく嫌だったけど、喋りかけてくださることも多くなって嬉しかったです。社会人FINALでの涙。今でも覚えています。熱い思いを持ったグッシーさんの元で4年間過ごせて本当によかったです。ありがとうございました。これからの中京もよろしくお願いいたします。
まあちゃんさんへ
この一年まあちゃんさんがいなかったらここまで自分含めチームが成長することができなかったです。クリアが上がらないチームだったけど上がるまでに成長し、ポジティブな声かけをしてくださるからこそチームの士気も上がる。自分がロングに転向した時も、練習、アフターで個別指導。家族との時間もある中でいっぱい時間を使っていただきました。本当にありがとうございました。
康介さんへ
LINEで散々感謝は述べたので、短めに。部活以外も関わってくださって嬉しかったです。これからもよろしくお願いいたします。
カイトさんへ
カイトさんはご結婚されて、A2のキャプテンも務めていて、忙しい中でもコーチを引き受けてくださりありがとうございました。コーチとして来るたびに「中々いけてなくて申し訳ないです」という言葉。全然そんなことなかったです。近くにカイトさんの気持ちも感じていました。カイトさんにコーチをお願いしてよかったです。ありがとうございました。
梅ちゃんへ
梅ちゃんはなんか距離がいい意味で近くて、なんか面白かったです。コーチという感覚よりは武者に来ている人って感覚で喋ってたと思います。失礼なこと言ってたりしてたとも思います。ごめんなさい。ありがとうございました。
コーチを引き受けてくださり、本当にありがとうございました。今年はコーチが豪華だと言われ続けてきて、結果を残さなければいけないのにファイナル4という結果で終わってしまったことが非常に申し訳ないです。お忙しい中、練習に顔を出していただいて、ご指導いただけたことが僕たちにとって財産です。
もりしんさん、きみひろさん、たくとさん、辻本さん、ほか社会人の皆様へ
金曜ナイターにご参加いただき、アフターでも1vs1などの練習に付き合っていただきありがとうございます。皆様から学ぶことが非常に多く、チームの成長に繋がったと思います。もりしんさんに関しては引退してからも気にかけてくださって嬉しかったです。社会人の練習にも参加できる時に参加させて頂ければなと思ってます。その際はよろしくお願いいたします。
家族へ
いろいろ迷惑をかけました。成人していてもまだまだ学生という身分。家族の支えがなかったら、ラクロスを4年間続けることができなかったと思います。支えてくれてありがとう。社会人になって必ず恩返しします。
誇らしい同期、素敵な先輩、後輩達に出会うことができ、ラクロスに熱中できた4年間は僕にとって青春でした。
幸せをありがとう。
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